○Lesson 2 Abu Simbel○
Abu Simbel - Rebirth on the Nile −アブ・シンベル−ナイル川の再生−
困難は経験を生み、経験が英知を生む格言(16世紀)
1972年、ユネスコは世界文化及び自然遺産の保護に関する報告書を採択した。エミは世界遺産の遺跡について知っている。
金閣寺が京都の彼女の家の近くにあるからだ。彼女は他の遺跡を調査することにした。彼女はその他の情報をインターネットで見つけた。
Section 1
ナイル川は世界で最長の川である。長さは約6695キロメートル。
9つの国を流れ、地中海に抜ける。何千年にもわたり、ナイル川は農業や輸送のために必要とするエジプト人にとって重要であった。
ナイル川と並んでエジプトで最も有名な遺跡は、ピラミッド、スフィンクス、アブ・シンベルの大寺院である。
アブ・シンベルはエジプト王、ラムセス2世によって紀元前1250年に建てられた。
目の前に王の4つの像があり、それぞれ約20メートルの高さである。
王はナイル川と彼の広大な王国を眺めている。王の像の隣に、王のより小さい王妃、王子、王女の像がある。
寺は西を向いている。毎年2回、朝の太陽は寺の後の聖域まで長々と達する。それは太陽神と王自身の像を照らし出す。
Section 2
20世紀半ば、エジプト政府は、新しいダムを建設することを計画した。政府がしたかったことは、洪水を管理し、農業のための電気と用水を提供することである。
だが問題があった。
政府は水位が上昇し、何百キロのわたり、谷を水浸しにしてしまい、そこに住んでいる大勢の農民を移転させなければならないことを知っていた。
もう一つの問題は、水位の上昇によりエジプトの記念物のいくつかが、水没してしまうことである。
これらのうちで最重要なのは、アブ・シンベル寺院であった。国民と記念物とどっちが大事か?
ダムを建設し、同時にアブ・シンベルを救うことが可能か?熟慮と多くの会議ののち、新しいダムを建設することが決まった。
ダムの建設は1960年1月9日に開始された。水位が上がり始めた。
Section 3
50ヶ国以上の国々が、アブ・シンベルを救うための資金を出し、計画を作った。あるポーランドの科学者は寺院の上にドームを建設することを提案した。
あるアメリカ人は、水位があがったら、寺院も浮かぶように、寺院を乗せる平底船を作る計画をたてた。
イギリスの科学者は水族館のように、寺院を水の下に残すことを提案した。
1963年11月、エジプト政府は決断した。最終的に決定した計画は寺院を64メートル上の崖まで移動させることだった。
これは非常に困難なことであった。寺院は16000以上のブロックに切り分けられ、それから現在の位置で組み立てられた。
耳で聞こえる工事は4年半を要し、寺院に水が達するわずか前の1968年の秋までに全て完成した。1979年にアブ・シンベルはユネスコの世界遺産に登録された。
Section 4
初めはアブ・シンベルの問題を解決する手立てを誰も思いつかなかった。
国民生活向上のために記念物を犠牲にするべきなのか?それとも記念物を救うために、国民福祉を犠牲にするべきなのか?
実際には第三の道があった。
人間の創意工夫と国際的協力が第三の道を発見した。新しいダム、アスワン・ハイ・ダムは数百人の国民生活を飛躍的に向上させ、アブ・シンベル大寺院は未だにそこにある。
ラムセス2世はナイル川上で、彼の建てた王国をまだ眺めているのである。次の3千年間に彼はどのような人類の歴史を見ると、あなたは思いますか?